「てるてニュース9月号」及び「てるて姫伝説」のご紹介

こんにちは! 鑑石園高齢者地域支援窓口の渡辺です!

先月(令和3年8月)は、高齢者地域支援窓口についてのご説明と「てるてニュース8月号」及び「かがみいし公園」についてのご紹介をしました。今月は「てるてニュース9月号」と「てるて姫伝説」について、ご紹介したいと思います。

ここ数年、日本では過去に見られなかったような記録的な大雨が降るようになりました。昭和の後半から今日に至るまで、治水事業が進み、洪水などそう簡単に起こることはないと思われたのですが、残念ながら予想を上回るような大雨が降るようになり、洪水が発生しています。

これは地球温暖化の影響であることが近時の研究でわかってきました。そのあたりのことを「てるてニュース9月号」で説明しています。

「てるてニュース8月号」のご紹介では、ニュースの表(おもて)の上半分の写真だけでしたが、9月号については、表と裏の全面がわかるように4枚の写真を掲載します。

実物がほしいという方には、無料でお配りしますので、ご連絡ください。紙ではなく、データで差し上げることも可能です。

さて次は、「てるてニュース」の名前の由来である「てるて姫伝説」をご紹介いたします。8月の投稿でご紹介しました通り、特別養護老人ホーム鑑石園のすぐ南の「かがみいし公園」に「てるて姫伝説」を記した掲示板があります。その写真を掲載します。

写真では文字が読みにくいかもしれませんので、文章の内容をご紹介します。

「室町時代、常陸国(茨木県)の小栗(おぐり)城主、小栗判官満重(おぐりはんがん みつしげ)は関東公方足利持氏(かんとうくぼう あしかがもちうじ)の大軍に攻められて落城。兄を頼って三河に逃れる途中、相模の横山大膳(よこやま だいぜん)のもとに身を寄せました。

満重はそこで大膳の荒馬、鬼鹿毛(おにかげ)を見事乗りこなし、絶世の美女照手姫(てるてひめ)を得ました。しかし大膳の策謀にかかり、毒酒を飲まされ、あわや殺される寸前、照手姫の知らせに救われて命からがら鬼鹿毛でこの地の妙善寺に姫と共にたどり着き、住職の大空禅師(たいくうぜんじ)にかくまわれました。

禅師は満重を助け、しばらくして紀州熊野の湯治に行かせました。満重の帰りを待つ間、照手姫は湧水の中のこの石を朝夕、鏡にして容姿をととのえたと伝えられています。

やがて病の癒えた満重は、禅師のとりなしで小栗城主に返り咲くことができ、姫を奥方に迎えて、幸せに暮らしたということです。 以上